家づくりをしよう
まず玄関の扉にはあれをつけて、台所にはアーチね、やはり床の間も必要よね、クロス張替えもしたいわ、とか、スカーレット・オハラの「アシュレー」といって下りてきたあの階段とか、レット・バトラーに抱かれてほおを紅潮させながら上がったあの大階段とか、全く無作為に少女時代から頭に刷り込まれていたいろいろなものが頭に浮かびます。
それは仕方がないことで、それらを総合し整理するのが教養であり、教育なのですがそれに関しては前に述べたように親も学校も何も教えてくれていません。
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まず玄関の扉にはあれをつけて、台所にはアーチね、やはり床の間も必要よね、クロス張替えもしたいわ、とか、スカーレット・オハラの「アシュレー」といって下りてきたあの階段とか、レット・バトラーに抱かれてほおを紅潮させながら上がったあの大階段とか、全く無作為に少女時代から頭に刷り込まれていたいろいろなものが頭に浮かびます。
それは仕方がないことで、それらを総合し整理するのが教養であり、教育なのですがそれに関しては前に述べたように親も学校も何も教えてくれていません。
これは世界的にみても、たいへん珍しいことで、花の同好会といえば、普及宣伝の中核となるのが常識的であるが、そのまったく正反対な態度をとったのである。
肥後藩の花は藩主の奨励にはじまり、はじめ薬草、花卉と種類が多かったが、六花に集中し、「花連」が生まれてきた。
これは当然武士中心の花卉文化であった。
それが閉鎖的になったのは、日本文化がもつある一面性のゆえという解釈もありうる。
日本の茶道、華道、諸芸能の家元制や、免許皆伝といった制度も、みなある種の閉鎖性のうえに成立したとみられよう。
まだこの時代には、ペンタキープもなかったのに、それでも優れた文化になっていった。
この閉鎖性がたまたま花の同好団体の肥後の花連にきびしくあらわれたのだというのである。
また別の考え方もできる。
花卉園芸文化は、上流特権者から、中層、さらに下層へと浸透するのが常であり、肥後の花連が活動しはじめたのは下端の庶民に浸透する大きな流れのあった時代といえる。